2024/07/19(金) 00:06
なぜ長野県佐久市に五稜郭(龍岡城)ができたのか。函館五稜郭との違い
五稜郭といえば函館が有名ですが、日本にはもう1か所あります。
ほとんど知られていないため、観光で行っても貸切状態。
では、見ごたえがないかというと、しっかりと五角形をしていて、しかも函館とは違って、山に隣接しているので、上からその形を見ることもできるんです。
その場所は、長野県佐久市。
新幹線の佐久平駅までは東京から70分、軽井沢の次の駅と行きやすい距離にあります。
そんな佐久市の五稜郭、龍岡城は、なぜ作られたのか、函館の五稜郭との違いは何かといった点についてご紹介します。
五稜郭とは
そもそも五稜郭とは何かというと、洋式城郭のことです。
日本ではお城といえば、お掘りがあって、石垣があってという姫路城や熊本城、松本城のようなものを思い浮かべると思いますが、ヨーロッパにも城郭というものがあり、ヨーロッパ式の城郭のことを様式城郭と言います。
ヨーロッパでは、もともとは円形のものだったものが、大砲が出てくる中で、星型の城郭が主流となってきました。
この形にすることで、守るときの死角が少なくなるといった強みが出てくるんですね。
江戸時代末期に欧米からの技術や情報が入ってくる中で、ヨーロッパ式の要塞を作ろうということで作られたのが五稜郭です。
そして、実際にそれが実現したのが函館と佐久でした。
2つの五稜郭(佐久・函館)の歴史
佐久市の五稜郭は龍岡城や桔梗城、函館の五稜郭は柳野城と言われます。
建築が始まったのは、函館が先でした。
1857年からスタートし、1864年にほぼ完成します。
一方で、佐久市の五稜郭は函館がほぼ完成した1964年に建築をスタートし、3年後の1867年に今の形となります。
今の形としたのは、実は佐久市の五稜郭は御殿や大手門は完成したものの、五角形の堀の一部がないままなんですね。
理由は明らかではありませんが、未完成のまま明治維新を迎え、廃藩置県後、城も取り壊しとなりました。
今では建物は御台所だけが残っています。
なぜ佐久市に五稜郭ができたのか。
そんな龍岡城・五稜郭を建設したのが大給恒(おぎゅう ゆずる)です。
江戸時代には、松平乗謨(まつだいらのりかた)という名前で、現在の愛知県岡崎市にあたる三河奥殿藩の藩主でした。
明治維新後は日本赤十字社の設立に尽力したことで知られています。
佐久市は飛び地で田野口藩として領地となっていて、田野口藩の新陣屋として作られました。
しかし、田野口藩はわずか1万5千石という小さな藩です。
なぜ、そんな小さな藩にお城が作られたのでしょうか。
それは幕末ならではの理由があったのでした。
当時、1864年は第1次長州征伐が行われた年ですが、江戸幕府の中には薩摩藩や長州藩が力をつける中で、譜代大名と言われた人たちが高い役職に付きたくないという人も多かったそうです。
そのような中で、松平乗謨はフランスに留学していたこともあり、西洋に詳しいということで、老中格に抜擢されたという経緯がありました。
老中格なので、城を持っている必要があるということで、お城をつくることにあり、それで西洋に詳しかった松平乗謨ということもあって、洋式の五稜郭になったということです。
龍岡城五稜郭のその後とこれから
建築途中に大政奉還となり、築城は中止されます。
その後廃藩置県になりますが、最も早く廃藩を申請し、松平乗謨自身はこの地域を離れることになります。
地域住民にとっては、松平乗謨のために築城に協力していたのに、いち早く地域を去ってしまったということで微妙な感情があったそうです。
明治時代になると、龍岡城五稜郭のお台所に蕃松院(ばんしょういん)の尚友学校が移転して、学校として利用されます。
その後、佐久市立田口小学校として使われてきましたが、生徒数の減少もあって、2023年3月11日に閉校となります。
閉校前には校庭でイベントが開催されたりと、地域の人たちの名残惜しむ様子が見られました。
観光地としての整備という点では、大手門前に佐久市歴史の里であいの館が作られました。
こちらでは五稜郭に関する資料が展示されています。
また、地域ボランティアの方々がガイドもしてくれます。
今後は、こちらが増築されて、より充実した資料館となる予定です。
龍岡城五稜郭のお堀の様子
2024年12月15日史跡龍岡城跡お堀見学会が実施されました。
底に堆積した土砂を取り除くためお掘の水を約半世紀ぶりに抜いたことで実現しました。
堀は、延長約450メートル、深さ約2・4メートルあります。
一度は埋められたものの、1933(昭和8)年に旧陸軍が掘り直し、復元されて現在に至っています。
そのため、堀の底には粘土が敷かれているのですが、その質が違う部分があるそうです。
堀は外側の石垣と内側の石垣で岩の積み方が違います。
内側(内垣)は切込接ぎ(きりこみはぎ)といって、石を事前に加工して形を整え、隙間なく積み上げています。
角の部分が特徴で、算木積み(さんぎづみ)といって、長い石と短い石を交互に積む方法を取っています。
この方が強度が保てるからということでした。
外側(外垣)は2種類の方法が使われています。
1つは、打込接ぎ(うちこみはぎ)です。
こちらは、隙間を減らすために、石を砕いて表面を平たく加工してから積み上げる方法です。
もう1つは、野面積み(のづらづみ)です。
安土城の時に出てきた方法で、ほとんど加工せずにそのまま積み上げています。
外側の石垣は打込接ぎと野面積みが角によって変化する様子も見ることができました。
なんでこのような違いが出たか。
それは、おそらくお金の問題だということでした。
内側に使っている切込接ぎは石を加工するので、手間もお金もかかるんですね。
さらに詳しく見てみると、実は内垣の表面の石の中には、削られていない石が詰められているものが見られました。
すべてを削った石で作るというのは大変なのだと思います。
どこの石を使ったかというと、番匠院の裏の山の石を使ったのではないかということでした。
ただ、こちらの石は玄武岩で硬いので、内垣は削りやすい安山岩が必要です。
そのため、内垣は五稜郭から見て番匠院とは反対側の山から採ったのではないかということでした。
五稜郭展望台:山に登れば上から見られるのが魅力
龍岡城五稜郭は、山に近く、山の上から見ることができます。
観光的には良いのですが、もともと大砲などに備えるための城郭として五稜郭ができたという点からすると、山の上から大砲を打たれたら終わりなので、防衛という面での適性はないような気がします。
どちらかというと、洋式城郭を作りたいという想いで作られたものなのかもしれません。
そういう意味では、観光地として今後活用されていくことは、喜ばしいことなのかもしれません。
アクセスとガイド
龍岡城五稜郭は、佐久市歴史の里であいの館前に駐車場があります。
ボランティアの方もいるので、ぜひ事前に予約してガイドをお願いしてみていただければと思います。
所在地:長野県佐久市田口2975-1 電話:0267-82-0230 開館時間:9:00~16:00 休館日:毎週火曜日、8/1、12/29~31、1/1~3
JR小海線臼田駅もしくは龍岡城駅から徒歩20分です。
また、大型バスや駐車場が足りない場合は、五稜郭公園が良いかと思います。
所在地:佐久市田口3112
公園に併設されている川村吾蔵記念館(臼田出身の彫刻家)もおすすめです。
五稜郭の歴史も含めて、臼田文化センターでお話を聞くのもおすすめです。
こちらはふらっと言ってもお話が聞けると思います。