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ホシノマチ不動産とは

2024/02/09(金) 06:31

ホシノマチ不動産はなぜ生まれたのか。移住者専用住宅ホシノマチ団地とは

牧原

ホシノマチ不動産は移住者に寄り添う不動産屋さんとして誕生しました。

実は、この構想は佐久市進める生涯活躍のまちという事業の流れの中で考えられていたことなんです。

もちろん、佐久市の方では大きな考え方を定めたのみで、具体的な部分については私たちがそれに基づいて作っていった形ですが、地域の課題を解決して、持続的なまちづくりを行っていこう。

そういった考え方で誕生した会社になります。

佐久市との関係性、なぜ地域の課題解決につながるのか、なんでそれが不動産屋さんだったのか。

その根本となる考え方にせまりたいと思います。

ホシノマチの由来 -旧臼田町の想い-

ホシノマチという名前の由来は、佐久市臼田地区が旧臼田町だったことに遡ります。

旧臼田町では、JAXAの観測所があるなど、星がキレイに見えることで有名でした。

そのため、町全体としても星の街臼田としてシティプロモーションを行っていました。

臼田町が佐久市と合併したのが2005年(平成17年)のことですので、今から20年以上前のことです。

もちろん、合併後20年が経った今でも星がキレイに見えることは変わりなく、うすだスタードームでの星空観察は人気です。

なぜ、臼田では星がきれいに見えるのか。

それは標高が高く、空気が澄んでいるという自然環境があります。

また周辺に光が少ないといった生活環境にも恵まれている点があります。

都心では見えない星が、ここに来ると輝いて見える。

そんな地域が臼田地区なのです。

実は、臼田地区に来て、輝いて見えるのは、星だけではなく、人もそうではないか。

それがホシノマチ団地という名前の由来になります。

都心ではたくさんの人がいて、同じスキルや強みを持った人がたくさんいます。

しかし、そういった人が臼田に来ていただけると、同じスキルを持った人はおらず、オンリーワン人材となることができるのです。

また、情報化社会といった時代ではあっても、都心と地方ではまだまだ情報の格差もあり、都心の最先端の取り組みが地方では実践できていません。

そういった情報を持っている人が来ることで、大いに輝いてもらえるのではないか。

ホシノマチ団地はそんな拠点になるのではないかという想いで命名されました。

臼田地区が直面した課題とそれを解決する市の取り組み

一方で、1997年に北陸新幹線の佐久平駅が開通してから、佐久平駅周辺への人口集中が始まります。

そうした中でも臼田地区が一定の人口を保っていたのが、佐久総合病院の存在でした。

地域医療の先進地として全国から学びたいという研修医が来たり、医療を受けたいという人が来たりという長野県を代表する病院があったのです。

その佐久総合病院が2014年に分割再構築ということで、最先端の急性期医療は臼田地区から佐久平駅に近い地域へと分かれることとなりました。

機能が半分移転したため、病院の先生やスタッフも半分がいなくなり、来院する人の人数も半分になります。

それによって、大きなダメージを受けたのが周辺地域です。

これまで病院関係者が暮らしていた住まいが空室になり、病院周辺の飲食店も大きな打撃を受けることになります。

そんな臼田地区をどうにかしたいという想いで始まったのが、佐久市の生涯活躍のまち事業です。

生涯活躍のまちというのは、国が推進する地方創生の取り組みです。

簡単にいうと、アクティブシニアの地方移住を推進する事業なのですが、佐久総合病院のある佐久市は医療や介護の面で安心を提供できる環境がある強みを活かして、この事業を推進することにします。

そのモデル事業として決まったのが、臼田地区にあるホシノマチ団地です。

ホシノマチ団地のストーリー

ホシノマチ団地は、もともと佐久市の運営する下越団地という市営住宅でした。

それが、5年以上新規の入居者がいない状況で、24室中16室が空室という状態になっていました。

そこを移住を希望するアクティブシニア向けの賃貸住宅にしようという企画がホシノマチ団地です。

そこで手を挙げたのが佐久市臼田地区活性化共同企業体(代表法人:株式会社みんなのまちづくり、構成法人:株式会社堀内組)でした。

2018年に事業実施が決まり、2019年には1階のリノベーション工事も行われます。

そして、令和元年(2019年)11月1日にオープンを迎えた矢先に台風19号により佐久市は大きな被害を受けます。

ホシノマチ団地は問題なかったものの、市営住宅の一部を被災者用に開放するといった試みが行われました。

さらに、このことを理由にオープン後に入居を予定していた方々がキャンセルが続出してしまったのです。

そのまま年が明けて、2020年になると新型コロナウイルスが世界に広がります。

緊急事態宣言で移動が制限され、高齢の方は移動をすること自体がためらわれる状況となってしまいました。

しかし、佐久市の事業として行っているため、計画通り工事はしなくてはいけません。

そこで、入居者がいないまま、2階部分の工事も行い2021年3月に1、2階8室が入居可能な状況になったのです。

実は地方創生が第2期に入る2020年頃から国の生涯活躍のまち事業はシニア限定ではなく、全世代を対象とした取り組みにするという政策転換が行われてきました。

そこで、佐久市でもホシノマチ団地をシニア限定ではなく、全世代が住めるかたちにしようということになったのです。

ただ、2019年から2年以上にわたり空室が続いていることは、大きな問題でした。

そこで、2021年3月、佐久市では2021年の秋までに1、2階の8室中6室以上に移住者が集まらなければこの事業は終了ということにしたのです。

そこからの半年はさまざまな取組を行う中で、8室全部に移住いただくことができるようになり、3、4階の8室についても移住者募集を行うことになりました。

そして、2023年5月には16室が満室になり、佐久市が長野県内で移住者数1位を獲得することに貢献することになったのです。

ホシノマチ不動産が生まれた理由

約2年の年月を経て、満室になったホシノマチ団地ですが、その間にも多くの紆余曲折がありました。

その1つが、移住した人たちがすぐに退去してしまうということでした。

この理由が非常に面白いんです。

というのも、移住者のみなさんは、長野県、佐久市に来たいなと思って移住してくるのではありません。

ホシノマチ団地が面白そうと思って移住してくるんですね。

そして、移住した後に地域で活動を始める中で、佐久市良いな、臼田良いなということに気づいて、ここにずっと住もうと決めることになります。

結果、近くに家を買ったり、庭付きの戸建てに暮らしたりといった佐久市内で自分が好きなライフスタイルを送れるような環境を探すことになったのです。

そういった生活を送ってもらうことは、佐久市としては非常にありがたいことです。

一方で、ホシノマチ団地としては空室が出てしまうので、運営としては大変です。

しかし、移住してきたみなさんが、自分の好きな生活を送れるように応援することは大切ではないか。

そういう想いでホシノマチ不動産は誕生しました。

実は、移住者のみなさんは地域で空き家などを探しているのですが、ネット上ではなかなか良い物件が見つからないというのが実態でした。

それに、見つけた物件が本当に良いものなのかといったことも不安がありました。

そんな悩みを解決する場所として、不動産会社を立ち上げてみよう、そんな想いで始まったものになります。

ホシノマチ不動産がなぜ、移住者に寄り添いたいと思うようになったかはこちらをご覧いただければと思います。

ただ、なぜ寄り添うたいと思うようになったかはお知らせしていなかったので、ここでお伝えしたいと思います。

なぜ移住者に寄り添いたいと思うようになったのか

私自身が移住者で、居住の経験をしていることというのももちろんあるのですが、ホシノマチ団地に移住をしたいという方々の声を聞いていて、見えてきたことがあります。

それは、移住については、みんな不安を感じているということです。

住まいだけでなく、仕事面やご近所付き合いなど、人生の大きな転機となる決断なので、心配な部分が多いですよね。

それに多くの場合が事前に体験するといったこともできないので、行ってみないとわからないといった状況でした。

ホシノマチ団地ではその不安を解消するための取り組みを行っているので、みなさん比較的ハードルが低く移住ができているのかなと思います。

しかし、ホシノマチ団地は1つだけで、住める人は限られています。

現在では入居待ちの状態になってしまっていて、すぐに移住したくてもできません。

そこで、ホシノマチ団地にある安心を他の住まいでも作れないかと思っているのが、私たちです。

全く同じものはありませんが、その人の不安を解消できる住まいをご紹介することはできると思います。

また、その住まいの周辺の環境だったり、ご近所付き合いの状況についても相談にのることができます。

移住してからも一人ではなく、相談できる相手がいるそんな環境が求められていると思いますし、それを実現していくことが、移住へのハードルを下げて、佐久市が住み続けられるまちであるために必要なことではないかと考えています。

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